中古車の売れ筋ランキング [ランキング]
4月から増税が決まってます。
5%から8%になります。
上がる前に大きな買い物は済ましておきたいですよね。
200万の買い物をすれば6万も変わってきます。
6万もあれば、韓国、台湾など海外旅行にも、行ける金額ですからね。
そんなわけで、中古車の売れ筋ランキングを紹介します。
(ガリバーインターナショナルにおける13年1月1日~12月9日の中古車販売台数ランキング。中古車価格は、10年式、走行距離1万km前後の例)
中古車の売れ筋ランキング
1位 ワゴンR(スズキ)
80~95万円
2位 セレナ (日産)
210~245万円
3位 プリウス(トヨタ)
160~180万円
4位 フィット (ホンダ)
92万~107万円
5位 タント(ダイハツ)
85~100万円
6位 ムーブ (ダイハツ)
90~110万円
7位クラウン (トヨタ)
290~320万円
8位ステップワゴン (ホンダ)
165~180万円
9位 アルファード (トヨタ)
295~325万円
10位 ワゴンRスティングレー (スズキ)
95~113万円
軽自動車が好調
堂々の1位はワゴンRです。
10年前から不動の強さですね。
よく売れるので玉数も多く、好みの色や、グレードも選べるのも中古車では人気の理由の1つだと思います。
なんといっても100万以内で程度のいい車を手に入れられることが、1番売れてる理由でしょう。
今回中古車の売れ筋ベスト10の中に、4つも軽自動車が入ってます。
相変わらず軽自動車の人気はつよいですね。
その理由の1つが、軽自動車税増税の可能性が、高いからです。
順調に、国会の審議が進むと、再来年から1.5倍に引き上げになります。
引き上げ後は現在の1.5倍の1万800円になる予定。
登録済みの車は7,200円のままでいいので、法改正の前に買った方が税金が安くすみます。
消費税増税の影響
97年の消費税増税のときは、新車登録台数が直前の1~3月前年同期に比べて22万台も多く売れました。
それに伴い、中古車の売り上げも大きく伸びました。
14年度の今年もこの1月~3月にかけ、新車も中古車も間違いなく大繁盛するでしょう。
ハイブリッド車が狙い目
売れ筋3位にランクインしてるプリウスは、今でも、新車は、月2万台前後も売れてる大ヒット車であります。
9年に発売されたこのヒットモデルは、3年が経ち1回目の車検が来てます。
つまり、状態の良い極上なプリウスが市場に出回り始めたのです。
プリウスの中古を狙ってるなら、今がチャンスだと思います。
注意 中古車も新車も、3月31日までに登録すませないと、消費税8%が乗ります。
増税の影響を受けずに買うには、遅くても2月中には、契約しておきたいです。
3月に買う場合は、販売員によく聞いておいたほうがいいですよ。
5%から8%になります。
上がる前に大きな買い物は済ましておきたいですよね。
200万の買い物をすれば6万も変わってきます。
6万もあれば、韓国、台湾など海外旅行にも、行ける金額ですからね。
そんなわけで、中古車の売れ筋ランキングを紹介します。
(ガリバーインターナショナルにおける13年1月1日~12月9日の中古車販売台数ランキング。中古車価格は、10年式、走行距離1万km前後の例)
中古車の売れ筋ランキング
1位 ワゴンR(スズキ)
80~95万円
2位 セレナ (日産)
210~245万円
3位 プリウス(トヨタ)
160~180万円
4位 フィット (ホンダ)
92万~107万円
5位 タント(ダイハツ)
85~100万円
6位 ムーブ (ダイハツ)
90~110万円
7位クラウン (トヨタ)
290~320万円
8位ステップワゴン (ホンダ)
165~180万円
9位 アルファード (トヨタ)
295~325万円
10位 ワゴンRスティングレー (スズキ)
95~113万円
軽自動車が好調
堂々の1位はワゴンRです。
10年前から不動の強さですね。
よく売れるので玉数も多く、好みの色や、グレードも選べるのも中古車では人気の理由の1つだと思います。
なんといっても100万以内で程度のいい車を手に入れられることが、1番売れてる理由でしょう。
今回中古車の売れ筋ベスト10の中に、4つも軽自動車が入ってます。
相変わらず軽自動車の人気はつよいですね。
その理由の1つが、軽自動車税増税の可能性が、高いからです。
順調に、国会の審議が進むと、再来年から1.5倍に引き上げになります。
引き上げ後は現在の1.5倍の1万800円になる予定。
登録済みの車は7,200円のままでいいので、法改正の前に買った方が税金が安くすみます。
消費税増税の影響
97年の消費税増税のときは、新車登録台数が直前の1~3月前年同期に比べて22万台も多く売れました。
それに伴い、中古車の売り上げも大きく伸びました。
14年度の今年もこの1月~3月にかけ、新車も中古車も間違いなく大繁盛するでしょう。
ハイブリッド車が狙い目
売れ筋3位にランクインしてるプリウスは、今でも、新車は、月2万台前後も売れてる大ヒット車であります。
9年に発売されたこのヒットモデルは、3年が経ち1回目の車検が来てます。
つまり、状態の良い極上なプリウスが市場に出回り始めたのです。
プリウスの中古を狙ってるなら、今がチャンスだと思います。
注意 中古車も新車も、3月31日までに登録すませないと、消費税8%が乗ります。
増税の影響を受けずに買うには、遅くても2月中には、契約しておきたいです。
3月に買う場合は、販売員によく聞いておいたほうがいいですよ。
1940年幻の東京オリンピックと札幌オリンピック [へ~と思うこと]
1940年幻の東京オリンピックと札幌オリンピック
実は日本は1940年にオリンピックを開催を決めていたのです。
幻の東京オリンピック
1930年5月、東京市は大会招致の意向を表明しました。
ライバルは、ローマ(イタリア)、ヘルシンキ(フィンランド)などです。
日本は友好国であったイタリア首相・ベニート・ムッソリーニに直接交渉を行い、ローマの辞退を説得に成功!
ヘルシンキと一騎打ちとなる。
東京開催の障害要因としては、
「夏季の高温多雨」、
「欧米から遠く離れていることによる旅費・時間の問題」がありましたが、
東京市は前者に関しては、例えばフランスのマルセイユに比べてもはるかに涼しいこと、
後者に関しては参加希望国当たり100万円の補助を行うことを述べて反論しました。
1936年ヘルシンキと一騎打ちの結果、
東京36票、ヘルシンキ27票で、アジア初となる東京開催が決定した
投票の際には、日本の招致委員会を代表して柔道創設者の嘉納治五郎が「日本が遠いと言う理由で五輪が来なければ、日本が欧州の五輪に出る必要はない」と演説した。
開催決定後、大会組織委員会が設立され、五輪へ向けた準備が進められましたが、1937年7月に日中戦争が勃発。
年が明けても戦火は拡大する一方だったため、軍部からオリンピック中止の声が高まる。
また国外からも反対意見が多発。
政府内でも開催の是非についての議論が出始め、結局、万国博覧会の中止決定なども踏まえ、やるせない気持ちで大会開催を返上したのである。
実は1940年の冬季オリンピックは札幌で決まっていたのである。
結局東京五輪と同じくして、日中戦争の激化で、大会開催を返上したのである。
幻の札幌オリンピック
当時のオリンピック憲章では、冬季オリンピックは夏季を開催する国にして、冬季競技の全種目を組織するに十分な保障ある場合は、その国に選択権を与えるとされていたからです。
冬季オリンピックの開催都市は、スキー連盟は札幌を推薦します。これに対してスケート連盟は、日光を強く推しました。
話し合いにより開催地・札幌、予備地・日光ということが決定
1937年ワルシャワで開かれたIOC総会で冬季大会の開催地について審議し、満場一致で第5回冬季オリンピック開催都市を札幌に決定した。
札幌はオリンピック歓迎一色になりました。
だが決定したのが、6月9日。
1ヶ月後の7月7日に、中国・北京近郊で日本軍と中国軍が衝突してしまいます。(盧溝橋事件)
9月には返上論が出てきました。
結局1938年7月に返上決定。
幻のオリンピックとなってしまった。
戦後、東京での開催は 1964年に実現し、札幌での開催は、1972年に実現した。
おまけトリビア
・本大会開催が決定した1936年7月31日のIOC総会についての報道で、読売新聞が見出しの文字数制限からオリンピックを略そうと考えたのが「五輪」言い換えの始まりである発案者は当時運動部の記者であった川本信正。
川本によるとオリンピック旗の五つの輪と宮本武蔵の『五輪書』からこの略称を思いついたという。
・駒沢公園は、1940年に日本で行われるはずであった第12回大会のメイン会場、選手村などの建設予定地であった。
・1940年のオリンピックを争った3都市は、第二次世界大戦後にヘルシンキ→ローマ→東京の順で開催を実現している。
参照;ウィキペディア
実は日本は1940年にオリンピックを開催を決めていたのです。
幻の東京オリンピック
1930年5月、東京市は大会招致の意向を表明しました。
ライバルは、ローマ(イタリア)、ヘルシンキ(フィンランド)などです。
日本は友好国であったイタリア首相・ベニート・ムッソリーニに直接交渉を行い、ローマの辞退を説得に成功!
ヘルシンキと一騎打ちとなる。
東京開催の障害要因としては、
「夏季の高温多雨」、
「欧米から遠く離れていることによる旅費・時間の問題」がありましたが、
東京市は前者に関しては、例えばフランスのマルセイユに比べてもはるかに涼しいこと、
後者に関しては参加希望国当たり100万円の補助を行うことを述べて反論しました。
1936年ヘルシンキと一騎打ちの結果、
東京36票、ヘルシンキ27票で、アジア初となる東京開催が決定した
投票の際には、日本の招致委員会を代表して柔道創設者の嘉納治五郎が「日本が遠いと言う理由で五輪が来なければ、日本が欧州の五輪に出る必要はない」と演説した。
開催決定後、大会組織委員会が設立され、五輪へ向けた準備が進められましたが、1937年7月に日中戦争が勃発。
年が明けても戦火は拡大する一方だったため、軍部からオリンピック中止の声が高まる。
また国外からも反対意見が多発。
政府内でも開催の是非についての議論が出始め、結局、万国博覧会の中止決定なども踏まえ、やるせない気持ちで大会開催を返上したのである。
実は1940年の冬季オリンピックは札幌で決まっていたのである。
結局東京五輪と同じくして、日中戦争の激化で、大会開催を返上したのである。
幻の札幌オリンピック
当時のオリンピック憲章では、冬季オリンピックは夏季を開催する国にして、冬季競技の全種目を組織するに十分な保障ある場合は、その国に選択権を与えるとされていたからです。
冬季オリンピックの開催都市は、スキー連盟は札幌を推薦します。これに対してスケート連盟は、日光を強く推しました。
話し合いにより開催地・札幌、予備地・日光ということが決定
1937年ワルシャワで開かれたIOC総会で冬季大会の開催地について審議し、満場一致で第5回冬季オリンピック開催都市を札幌に決定した。
札幌はオリンピック歓迎一色になりました。
だが決定したのが、6月9日。
1ヶ月後の7月7日に、中国・北京近郊で日本軍と中国軍が衝突してしまいます。(盧溝橋事件)
9月には返上論が出てきました。
結局1938年7月に返上決定。
幻のオリンピックとなってしまった。
戦後、東京での開催は 1964年に実現し、札幌での開催は、1972年に実現した。
おまけトリビア
・本大会開催が決定した1936年7月31日のIOC総会についての報道で、読売新聞が見出しの文字数制限からオリンピックを略そうと考えたのが「五輪」言い換えの始まりである発案者は当時運動部の記者であった川本信正。
川本によるとオリンピック旗の五つの輪と宮本武蔵の『五輪書』からこの略称を思いついたという。
・駒沢公園は、1940年に日本で行われるはずであった第12回大会のメイン会場、選手村などの建設予定地であった。
・1940年のオリンピックを争った3都市は、第二次世界大戦後にヘルシンキ→ローマ→東京の順で開催を実現している。
参照;ウィキペディア