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1940年幻の東京オリンピックと札幌オリンピック [へ~と思うこと]

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1940年幻の東京オリンピックと札幌オリンピック

実は日本は1940年にオリンピックを開催を決めていたのです。

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幻の東京オリンピック

1930年5月、東京市は大会招致の意向を表明しました。

ライバルは、ローマ(イタリア)、ヘルシンキ(フィンランド)などです。
日本は友好国であったイタリア首相・ベニート・ムッソリーニに直接交渉を行い、ローマの辞退を説得に成功!

ヘルシンキと一騎打ちとなる。

東京開催の障害要因としては、
「夏季の高温多雨」、
「欧米から遠く離れていることによる旅費・時間の問題」がありましたが、
東京市は前者に関しては、例えばフランスのマルセイユに比べてもはるかに涼しいこと、
後者に関しては参加希望国当たり100万円の補助を行うことを述べて反論しました。

1936年ヘルシンキと一騎打ちの結果、
東京36票、ヘルシンキ27票で、アジア初となる東京開催が決定した

投票の際には、日本の招致委員会を代表して柔道創設者の嘉納治五郎が「日本が遠いと言う理由で五輪が来なければ、日本が欧州の五輪に出る必要はない」と演説した。


開催決定後、大会組織委員会が設立され、五輪へ向けた準備が進められましたが、1937年7月に日中戦争が勃発。

年が明けても戦火は拡大する一方だったため、軍部からオリンピック中止の声が高まる。
また国外からも反対意見が多発。


政府内でも開催の是非についての議論が出始め、結局、万国博覧会の中止決定なども踏まえ、やるせない気持ちで大会開催を返上したのである。






実は1940年の冬季オリンピックは札幌で決まっていたのである。
結局東京五輪と同じくして、日中戦争の激化で、大会開催を返上したのである。


幻の札幌オリンピック

当時のオリンピック憲章では、冬季オリンピックは夏季を開催する国にして、冬季競技の全種目を組織するに十分な保障ある場合は、その国に選択権を与えるとされていたからです。


冬季オリンピックの開催都市は、スキー連盟は札幌を推薦します。これに対してスケート連盟は、日光を強く推しました。

話し合いにより開催地・札幌、予備地・日光ということが決定


1937年ワルシャワで開かれたIOC総会で冬季大会の開催地について審議し、満場一致で第5回冬季オリンピック開催都市を札幌に決定した。

札幌はオリンピック歓迎一色になりました。

だが決定したのが、6月9日。

1ヶ月後の7月7日に、中国・北京近郊で日本軍と中国軍が衝突してしまいます。(盧溝橋事件)
9月には返上論が出てきました。
結局1938年7月に返上決定。

幻のオリンピックとなってしまった。




戦後、東京での開催は 1964年に実現し、札幌での開催は、1972年に実現した。




おまけトリビア

・本大会開催が決定した1936年7月31日のIOC総会についての報道で、読売新聞が見出しの文字数制限からオリンピックを略そうと考えたのが「五輪」言い換えの始まりである発案者は当時運動部の記者であった川本信正。
川本によるとオリンピック旗の五つの輪と宮本武蔵の『五輪書』からこの略称を思いついたという。



・駒沢公園は、1940年に日本で行われるはずであった第12回大会のメイン会場、選手村などの建設予定地であった。

・1940年のオリンピックを争った3都市は、第二次世界大戦後にヘルシンキ→ローマ→東京の順で開催を実現している。

参照;ウィキペディア


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